婦美は俊子が卒業して大学に進んでから、高校大学と抜け殻になった
ように過ごした。彼女にとって、俊子という存在は余りにも大きく、心
に大きな空洞を残していた。S女子大に入ってから、友人達は化粧を始め、
彼氏を作るようになった。だが、婦美は素顔のまま、そして男性と交際
することもなく過ごした。勉強も単位を取るためだけで、特に力を入れた
ものもなかった。ただテニスだけは、テニス部からの勧誘は断ったもの
の、同好会には入って適当に楽しんでいた。
大学時代、俊子が新宿の男装パブでアルバイトしているという噂を
聞いた。親から勘当されたという噂さえあった。だが、婦美は、それにも
無関心だった。俊子は、もう自分を忘れているだろう。大学に行って、
数々の出会いもあっただろう。彼女にとっても、俊子は過去の人だと思
っていた。
両親はそんな婦美を心配したが、婦美は両親に対してかなりの違和感
を感じていた。両親にとって自分は一体何なのだろう。唯の子孫?子供
を生む機械?両親は婦美が生まれた後も子供が出来ることを望んだが、
あいにく子宝には恵まれなかった。このためだろうか。両親は早く孫が
出来ることを望んでいた 。
四年生になってから、両親は婦美に縁談を持ってくるようになった。
婦美は、構えたポーズのお見合い写真を無感動に見た。どの顔も同じに
見えた。両親は、何とかして婦美を昔の明るい娘に変えようとしたが、
婦美は変わらなかった。彼女は両親を恨んでいたのかもしれない。
そして、とうとう断りきれずに一回目のお見合いをした。五歳年上の
ある大手電気メーカーに勤める男だった。婦美が彼を毛嫌いするのには
一時間で十分だった。彼女は強行に拒否して、その日のうちに断りの
電話を入れた。実に用心深く臆病な男だった。それは卑怯の域にまで
達していた。婦美は俊子の率直さを思い出した。両親は諦めず二回目
のお見合い話を持ってきた。それが現在の夫聡である。彼は感じが良か
った。理工系の大学の物理の講師をしていたが、彼には妙な用心深さは
なかった。そして自然に婦美に語りかけてきた。どんな質問にも即座に
答えられるような清廉潔白さとある種の勇気を持っていた。
婦美は久し振りに心が晴れた気がした。自分は今まで長い間暗闇の中
にいた。この男性だったら自分を変えてくれるかもしれない。その期待
は非常に大きいとはいえなかったが、それは婦美が久方ぶりに抱いた希
望だった。
お見合いの翌日の夜聡は婦美に電話してきた。婦美は驚いた。聡は落
ち着いた声で言った。
「僕と結婚してください」
婦美は何時も要点しか言わないような彼に好感を持った。彼は実にさっ
ぱりすっきりしていた。
「・・・はい」
婦美は小さな声で答えた。
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