夏休みが終わり九月となった。婦美の中学でテニス部の他校との交流 試合があった。婦美は一年生代表として出場した。監督は、試合になる と別人のように顔つきまで変えて集中し、勝負に執着する婦美を買って いた。同級生や先輩がコートの周りに座って観戦していた。婦美は調子 が良く、2セットは楽に勝った。だが、3セット目は相手のサーブゲー ムでシーソーゲームとなり、ジュースが続いた。一回目、二回目のジュ ースではアドヴァンテージを取ったが、粘られた。さすがに婦美は焦った。 三回目のジュースでは、相手のセカンドサーブにリターンエースを狙っ て失敗し、終にアドヴァンテージを相手に取られた。その時だった。
 「佐々木婦美、頑張れー」
三年生の群れの中からそういう声が聞こえた。婦美が見ると
 「佐々木ー」という声がまた聞こえたが、そう声をかけていたのは 俊子だった。
  深い驚愕と共に喜びが溢れた。まさか俊子が自分の名前を知っている とは思わなかった。婦美と俊子の目が合った。俊子が自分に声をかけて くれた。その喜びで勢いを取り戻し、三回目のジュースを凌いだ。そし て、このゲームを四回目のジュースで勝ち、試合には3−0で快勝した。 試合後の挨拶をして、俊子の方を見たが三年生はもういなかった。 俊子達は自分の応援に来てくれたのだ。試合に勝ったことより、俊子が 自分の応援してくれたことの方が婦美の喜びは大きかった。
  翌日、廊下で婦美と俊子はすれ違った。何かお礼を言わなければいけな いと思ったが、言葉が出なかった。友人の中村綾乃が婦美をからかって 脇腹を突いた。婦美は真っ赤になって下を向いた。視線を合わせること すら出来ない。すれ違い様俊子が言った。
 「杉山が返事くれって言ってるよ」
意味がわからなかった。杉山?あの何時も手紙をくれる先輩?時々下駄 箱の中に上級生からの手紙が入っていたが、婦美は読まずにそれを捨て ていた。その日の帰りにも下駄箱に杉山と差出人が記された手紙が入って いた。婦美は初めて捨てずに読んでみた。
 「今日の四時にボン・フリアンで待っている。」
それだけだった。ボン・フリアンとは通学路にある洋菓子店で小さい喫茶 室もあった。学校では、登下校時に寄り道して喫茶店に入ることは禁止 されている。
 「婦美珍しいじゃない。手紙読むなんて」
 「杉山って誰だろう?」
 「三年生の中にいるんじゃない?よく知らないけど」
それまで婦美は度々杉山という先輩から手紙を貰っていたが、何時も 読まずに捨てていた。婦美は中村綾乃に付き合ってくれるよう頼み、 その日の四時にボン・フリアンに入った。学校にばれれば厳重注意と なる。
  そこには俊子とその取り巻きの三年生がいた。婦美は混乱した。 しかし他に同じ制服を着た人物はいない。俊子が微笑んだ。その微笑。 婦美はちょうど十三歳の誕生日だった。綾乃が婦美の背中を軽く押して 言った。
 「やったじゃない」
俊子は花束を持っていた。二年生の一人が毎日俊子に花束を贈っている という噂だった。その日の花束はトルコ桔梗だった。婦美は呆然として 入り口に立っていた。
 「やっと手紙を読んだか」と取り巻きの一人が言った。
 「ずっとなしのつぶてだったからなあ」と俊子が言った。
 「手紙を読んでくれてよかった」
こともあろうに三年生の一人にタバコを吸っている人物までいた。登下 校時にその路沿いの喫茶店でタバコを吸うとは随分な度胸だ。俊子は 婦美に向かってもう一度微笑んだ。そして言った。
 「杉山とは私の母の旧姓だよ」
綾乃が言った。
 「先輩、今日は婦美の誕生日なんです」
 「そうかー、十三歳になったかー」
 「それじゃーお祝いしなくちゃーなー」
そういって俊子は、婦美と綾乃のために、サヴァランとアイスコーヒー を注文した。

  これをきっかけに婦美は殆ど中学中の生徒の恨みをかいながら、俊子と 急速に親しくなっていった。俊子と婦美は、大抵は校門で時にはボン・ フリアンで待ち合わせて一緒に下校するようになった。電車で渋谷まで は一緒だった。 俊子は、また、大変な読書家だった。そして何時も 図書室に入り浸っていた。文学書、哲学書の内外の古典を片端から 読んでいた。図書室も俊子と婦美の昼休みの待ち合わせ場所だった。 だが図書室の片隅には婦美を仇敵とする二年生の集団もいた。
  やがて婦美は俊子が薦める本を読むようになった。帰りには読んだ本などを話題にした。 そして毎日のように読書の感想や自分の気持ちなどを内容とする手紙のやりとりをするようになった。 それはラブレターといえた。プラトニックな切ない初恋であった。 多くの生徒が婦美の仇敵となった。特に二年生からの風当たりは強かった。 しかし婦美はそのことを辛いとは思わなかった。何時も同じように接し てくれる綾乃もいた。俊子も婦美が受けている嫌がらせにちゃんと気付 いていた。そして微笑みながら言った。
 「あんたも大変だね」

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