披露宴の後、新郎新婦は親しい友人達と二次会に行く事になった。
 「付き合う必要はないからもう帰ろう」と夫は囁いたが、
 「まだ早いから、参加しましょう」
と 婦美が言って、一緒に行くことになった。何時も夫は、彼女のいうことを 聴いてくれていた。実は、婦美は少しでも俊子の近くにいたい思いが強く、 直ぐには離れ難かった。勿論それには誰も気付きはしない。

  外に出て暫くして近くのカフェバーに入った。175センチあった俊子の身長 は高校を卒業してから更に伸びたように思えた。しかし、無論、婦美は俊子の 背の高さを愛した訳ではない。彼女は背の低い俊子をも愛したであろう。俊子 は相変わらず婦美と眼が合うと微笑みを浮かべた。その自然な微笑み。それは かつて婦美の全てだった。中高時代婦美はただ俊子に認められたいが為に登校 し、勉強し、読書もしていた。
 その青山のカフェバーは、全部で三十人くらい入れる瀟洒なイタリヤ風の 店である。スタンドの他、五、六人用の丸テーブルが五つばかりある。十人 ほどの男女が二次会に出席し、二つの丸テーブルを並べて、談笑していた。 新郎新婦は今夜都内のホテルで一泊してからヨーロッパへ新婚旅行に行くと いう。婦美は夫と共にその談笑に加わった。その中では婦美が一番若いようだ。
  俊子は、ポンティヤックの水割りを飲みながら、自然な調子で隣の新郎と話し、 彼を笑わせていた。婦美は、中高時代に戻ったように幼い憧れを感じながら、 同じテーブルの俊子の斜め前に座っていた。俊子の話を聞き逃さないように 耳を傾け、時折俊子の様子を窺がっていた。俊子は微笑みながら自然に話しか けてきた。
 「今、どうしてるの?」
 「・・・結婚したの」
 「・・・それだけ」と婦美は心の中で小さく付け足した。
 「知り合いなの?」新郎と夫が驚いて同時に訊ねた。
 「S女子大付属中学と高校が同じだった」
俊子が低い声で答えた。そう言えば声はかなり以前と変わっていた。高校生の ころはアルトだった。今はまるで青年のような声だ。
 「二年後輩だった」
 「そうかー、偶然だねー」
 「もう九年振りだね。かれこれ」
 「シュン、S女子大付属かー。初めて聞いたよ」
 「・・・シュン?」と婦美が言った。
 「カミングアウトして名前も変えたから」
 「え?」
 「大胆不敵。入社試験の時に面接で男性であることを説明したが、合格 したんだよ」
 「へー」と夫が仰天して俊子を見た。
 「そういうお方には初めてお眼にかかりました」
 「そんなに驚かないで。結婚の予定など聞かれて面倒なので説明しただけ」 そして続けた。
 「戸籍上の名前も俊(シュン)に変えた。二年前に法律もできて戸籍上も 男性に変ることも可能になったんだから、面倒でしてないけど」
こともなげに俊が言った。
  婦美は黙ってカクテルを飲んでいたが、この話には驚いて思わず俊(シュン)の顔 を見た。そういえば、婦美は、戸籍上女性から男性になった「女性」がテレビ で話題になっていたことを思い出した。性同一性障害特例法*が施行され、 東京家庭裁判所に直ちに申請して認められたのである。性同一性障害の原因に ついて、現在、胎児期および生後1才半位までの間での、性別獲得 の時点で何らかの障害が起こり、脳に於ける性の差が正常でない、と考えられて いるとのことであった。
 高校時代に俊子から聞いた話だが、俊子は小学校の頃から絶対スカートをはか なかったそうだ。そして何時もズボン姿で男の子と荒っぽい遊びばかりしてい たという。俊子の両親もこれには悩み少し女らしくなるようという希望を持っ て、お嬢様学校のS女子大付属中学へ入学させた。俊子は制服を嫌ったが、結 果的には、魅力のある男子生徒を一人女子校に送り込んだようなものだった。 俊子は、男子には友情しか感じず、その関心は可愛い女子にしか向かわなかった 。 やはり、俊子は性同一性障害なのだ。心は男性なのだ。彼女は驚きながらも納得 した。

  話題が変わり話は続いたが、婦美は、付属校時代を想い出しながら、黙って ワインを飲み続けていた。
 「婦美あんまり飲むなよ。披露宴では殆ど食べなかったんだから」 と聡が心配そうに言った。
 「お料理あんまり美味しくなかったかしら?」と新婦も心配気に訊ねた。
 「いいえ。とても美味しかったです。ただ何だか緊張して」
 「何を緊張したの?」と夫が訊ねたが、この質問には答える訳にはいかない。 婦美は肩を竦めて言った。
 「お二人の緊張が伝わったのかしら」
 「確かに、随分緊張したわ」という新婦に、新郎が引き継いだ。
 「僕もあんなに緊張したのは始めてだよ」
この会話で笑いが起こった。婦美はほっと胸を撫で下ろした。

*性同一性障害特例法: 平成16年(2004年)7月16日施行   

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